今回のインタビューでは、主要メディアを対象に組織としての見解を横並びに聞くことができた。このインタビューだけで、東日本大震災の災害報道と今後の課題を語りつくすことはできないものの、各社を横断的に見る中で、共通して読み取れるいわば主要メディアの「文化」ともいえる部分と、時に大きな、時に些細な異同から企業としての、あるいは媒体としての「特性」や将来展望の萌芽を見ることができるようにも思う。以下、そのような共通と異同とを感じた点をまとめた。

1 マニュアル改訂と事業継続計画

ほぼ各社の取材は、震災という側面では1995年に発生した阪神・淡路大震災の体験、原子力事故という側面では1999年のJCO東海村臨界事故の体験をそれぞれ踏まえて作成されたマニュアルを基本に行われた。その後にそれらのマニュアルを見直しして、改訂版を作成している。この改訂が次の大災害に活かされる前提は事業継続計画にある。

この中で、大規模災害時の事業継続については、首都直下地震というインタビュー対象の本社機能がある首都圏に大きな影響を与える地震への備えの具体性には発言に大きな違いがあった。組織上所掌しているかどうかによる違いもあり、差異があると一概には断定できないが、一般に設備制約の大きい放送メディアの方が敏感であるように感じた。しかし、主たる取材先となるだろう行政機関の補完や、ヘリ・航空機映像や情報カメラ映像が苦手な火災や夜間発災という制約条件への対応は聞かれなかった。それ以上に、南海トラフ地震という超広域災害については、組織的な取り組みは聞かれなかった。

2 専門記者を内包する仕組み

原発事故の推移に関する報道については、当時の与件として取材が制限されていたこと、その結果として情報が少なく発表源に偏りがあったこと並びに得られた情報に対しても分析が難しかったことを共通に挙げていた。その上で、「不安を煽らない」報道自体への言及や表現に各社で幅がみられ、また結果としての報道内容に、力の及ばない部分があった、思うようにいかなかったなどの評価にも微妙な異同がみられる。

その読み解きには興味深いものがあるが、別の評価軸として、その後の対応の具体化に各社の組織としての認識が反映しているとみることができる。つまり、限られた情報を分析し評価する人材の補強である。実際に、震災当時もメディア内部の専門記者から事故の展開の可能性に関して「先読み」が上がってきていたとの発言から、その有効性を読み取れる。当然、各社とも勉強会や研修を積極的に開催し人材育成を図っているが、その具体は多様であり、それ以上に原子力以外も含めて事象を取材し評価しうる人材を育成する組織的な対応は全般に不調であるよう感じる。

3 デジタル・コミュニケーションの中のジャーナリズム

東日本大震災という大きな災害の場で、各社ともをデジタル・メディアとの連携を展開した。阪神・淡路大震災でもメディア間の協力は見られたが、今回の震災では主要メディア自らがメディア融合を積極的に指向し、実践した点に大きな違いがある。デジタル化の大きなうねりの中で、緊急時というある種免罪符のもとで試行された種々の実践体験は、今後のメディア環境を考える上で、興味深い事例と方向性を示していると思う。