インタビュイー
箕輪 幸人(みのわ ゆきと)
肩書
震災当時: 株式会社フジテレビジョン報道局長
(調査当時: 常務取締役報道局長兼解説委員長)
経歴
茨城県出身、60歳。早稲田大を卒業してフジテレビ入社。報道局社会部で司法・警視庁両記者クラブキャップ、社会部長を経て解説委員、報道局長、常務取締役報道局長兼解説委員長を経て2014年4月からテレビ新広島代表取締役社長。
陪席
植村綾 企業広報シニアマネージャー(調査当時)
インタビュー実施日時
2014年4月25日(金曜日) 午前10時半〜12時
東京都港区台場 フジテレビ本社報道局応接室にて
聞き手
林香里、奥村信幸、五十嵐浩司

インタビューの要点

  1. 在京の放送局間で、各局のヘリコプターのうち1機を交代で茨城県つくば市に待機させ、関東地方 が津波に襲われたりして新木場や羽田の発着ができなくなった際に、プールで映像をシェアするという話がまとまった。
  2. 全国のネットワーク局全体で3・11の記憶や教訓を伝えるためにニュースに載せていくことに苦労している。「視聴率を見ると、3月11日の特番ていうのは被災地から遠くなるほど悪くなっていくんですよ」。
  3. 福島第一原発の最初の爆発を確認して、FNN(フジテレビ系列)の取材陣には「40キロ以上離れろ」と指示。「これはもう運動神経」。安全が確認できない中でスタッフを行かせるわけにはいかなかった。

インタビュー後記

足かけ3年にわたるインタビューの皮切りのインタビューであった。まだ復興のありかたや、福島第一原発の除染などの問題が報道を賑わせていた時点での依頼だったため、各社が「まだ現在進行形の問題」などと消極的な対応をとる中で、ヒアリングに応じ、ざっくばらんに内情を明かしてくれたことに敬意を表したい。

民放のニュースネットワークが、程度の差こそあれ共有する構造的な問題が明らかになった。被災地周辺のローカル局の圧倒的なマンパワー不足を補うためにネットワーク局を総動員し、穴を埋めていく態勢を継続していく苦労、震災の教訓を全国のネットワークで共有していくために、報道だけでなく他部署も動員して番組編成を考えて行く戦略、ニュースの検証だけでなく、取材陣の安全を確保するためにも原子力の専門知識を持った記者が複数必要だったという反省は共有しているものの、専従の記者は平時に維持は難しいスタッフの台所事情などが率直に明かされたと言う意味で非常に貴重な証言である。

(奥村信幸)