インタビュイー
河原 仁志(かわはら ひとし)
肩書
震災時: 一般社団法人共同通信社編集局次長
(調査当時: 編集局長)
経歴
1958年東京都生まれ。共同通信記者。福島、さいたま支局、経済部、ニューヨーク特派員、経済部長、ニュースセンター長、編集局長、総務局長を経て現在、常務理事総務・労務・コンプライアンス・事業継続担当。上智大、明治大、名古屋大、東大大学院などで客員講師。著書に『西武王国崩壊』(共著・東洋経済新報社)など。
陪席
山鹿秀一 編集局次長(調査当時)
インタビュー実施日時
2015年12月17日(木曜日) 午後4時〜5時半
東京都港区東新橋、共同通信社、編集局長応接室にて
聞き手
林香里、奥村信幸

インタビューの要点

  1. 震災の記録として、『東日本大震災1ヶ月の記録~その時どう対応したか~』という記録冊子をつくった。また、『ニュースを止めない』というマニュアルを作って、ニュースを送り続けるためのマニュアルを作った。また、原発マニュアルにも変更を加え、杓子定規なルールを変更した(いずれも非公開、社外秘)。
  2. ジャーナリズムに関しては、震災を教訓に、情緒的な表現は使わず、あくまでもファクトを追うことを改めて確認した。他方で、原発報道の際は、確率は7割、8割であっても、メディアが総合判断して、保安院が言っていること、東電の記録、それから外に出ている放射性物質の量、いろんなものを勘案してこれは警告を発するべきだという「ジャッジメント(判断)」を下す瞬間もあると思い苦悩。また、事象が終わったあと検証記事を書くことも、日刊新聞が生き残る道と考えている。
  3. 今回の震災の教訓として、知識不足から来るメディアの追及力の弱さがあると考え、原子力の知識をもつために科学部、社会部、経済部の記者から成る「原子力報道室」をつくった。被災3県の支局は、増員(福島は3倍)。また、デジタル化の趨勢で現在は、全員が動画コンテンツの配信にも対応したカメラとスマホを持つ。ネット時代の対応としては、ネットの話題を拾い上げる「Dウオッチ」というチーム、共同通信デジタルとヤフーで共同出資して設立した情報発信プラットフォーム「ノアドット(nor.)」という合弁会社設立など。

インタビュー後記

日本の新聞総発行部数の約半分は地方紙である。こうした地方紙各社向けに全国ニュースを配信す

るのが共同通信の伝統的な役割であった。河原氏は、ファクト中心の「ニュース配信」が通信社の役割とはいえ、「ジャッジメント(判断)」を下さなければならないという瞬間の難しさを語っていたのが印象的だった。

震災後、「知識不足」を教訓として原子力報道室をつくり、さらにネット時代に対応して動画取材やソーシャルメディアのフォローなど、新しい報道の仕組みや体制を強化している。同社はいま、地方紙全国紙各社向けだけでなく、個人のネットユーザーに向けた直接的情報発信・流通の役割も意識している。

今後、首都圏直下型地震や南海トラフなどの大規模災害に備えて、「ニュースの卸売り」としての地方紙への情報配信という役割と、ネットでの個人への直接的な情報発信という役割とをどう切り分けていくのか。この二つは同じものなのか。

災害情報は日本全国にとって重要であるだけに、ネット時代の通信社の新しい役割の行方が注目される。

(林 香里)