インタビュイー
渡辺 弘(わたなべ ひろし)
肩書
震災当時: 日本テレビホールディング株式会社取締役報道局長
(調査当時: 専務執行役員)
経歴
1976年に日本テレビ放送網に入社し、制作局のチーフプロデューサーとしてバラエティ番組を担当。ニュース編集部長、編成局長、制作局長を経て、2008年に執行役員に就任し、2009年から取締役報道局長に就任し、東日本大震災を迎える。その後、2011年から人事局長、取締役常務執行役員を経て、インタビュー当時は、2013年6月から就任した取締役専務執行役員を務めていた。2016年6月29日付で、日本テレビホールディングス専務取締役および日本テレビ取締役専務執行役員を退任。
陪席
酒巻 和也(震災当時: 局次長兼ニュース編集部長)
谷原 和憲(震災当時: 映像取材部長)
インタビュー実施日時
2015年9月14日(月曜日) 午後3時〜4時50分
東京都港区東新橋、日本テレビ本社会議室にて
聞き手
田中淳、五十嵐浩司、林香里

インタビューの要点

  1. 震災前からの系列の取り決めにしたがって、宮城テレビ放送に中京テレビ、テレビ岩手に読売テレビが応援に入り、福島中央テレビには日本テレビが入った。最初の1週間は、ローカル・ニュースをすべて日本テレビで制作する代わりに、系列局が応援に入り、その後も系列として原子力事故報道を続けた。
  2. 震災報道の方針として、いたずらに国民の不安心を煽らないようにすること、ならびに取材における安全確保の2点を上げる。事実を客観的に早く正確に伝える使命と報道機関としての検証をきちんとする使命との秤量に迫られるなかですべての取り組みが始まっていった。そのひとつとして、福島中央テレビのとらえた福島第1原子力発電所1号機水素爆発の映像の放送を巡る迷いだった。
  3. 報道局と編成局とで2012年3月に「震災報道見直しプロジェクト」を作り、NNN系列として震災報道の基本方針を取りまとめた(内部向け。A4で18ページ)。「命を守る」ための情報カメラの増設や、津波警報画面の改良や、「生活を守る」ためにデジタル化を活かしたライフラインチャンネルの設備整備、「首都直下地震時のBCP」の全面見直しや設備整備を進めた。

インタビュー後記

災害報道の観点からは、インタビューが他社よりも遅く実施されたこともあるが、震災の教訓を受けて、基本方針の明示や、情報カメラの増設、ライフラインチャンネルの設備整備、BCPなど大きな方針から具体的な設備変更まで詳細な回答があった。

ジャーナリズムの観点からは、福島第1原子力発電所1号機が爆発した映像は、NNN系列の福島中央テレビのみだっただけに、全国中継をなぜすぐにしなかったのかという批判もあった。これに対して、報道の偏りではなく、情報制約や取材の制限、専門家の評価など当時の条件の中で、社として映像の理解や説明が難しかったことが明言されるとともに、その限界を乗り越えるために「原発班」の設置や取材を通して原子力発電についての人脈も知見も蓄えた記者の増強など対策が言及された。災害時という分秒を争う場だからこそ、迅速性と客観性の相克が日常以上に鮮明になってくるのであり、今後とも問われていくだろう。その中で、日常的な報道でこれらの批判や信頼に答えていくしかないという発言が、今後の報道を考える上で印象的だった。

(田中 淳)