インタビュイー
吉田 慎一(よしだ しんいち)
肩書
震災当時: 朝日新聞社上席役員待遇編集担当
(調査時: テレビ朝日顧問)
経歴
1950年群馬県生まれ。74年朝日新聞社入社。福島支局員、政治部記者、ワシントン特派員、編集委員ののち、取締役東京本社編集局長、常務取締役編集担当、上席執行役員編集担当。2014年テレビ朝日、テレビ朝日ホールディングス代表取締役社長。この間、78年と95年に日本新聞協会賞受賞。97~99年東京大学法学部客員教授(政治とメディア)。2011~14年日本記者クラブ理事長。著書『木村王国の崩壊』(朝日新聞社、78年)、共著『官から民へのパワーシフト』(TBSブリタニカ、98年)、共著『政治家よ』(朝日新聞社、99年)ほか。
インタビュー実施日時
2014年5月29日(木曜日) 午後2時〜4時50分
東京都港区六本木、テレビ朝日8階応接室にて
聞き手
林香里、藤澤秀敏

インタビューの要点

  1. 盛岡、仙台、福島の3総局に計20人程度の記者を増強。仙台総局を東日本大震災の取材本部として位置付け、支社型の体制をつくった。仙台と福島にデスクを増強。「読者へ届けるために東日本大震災朝日新聞社の記録」という社内用冊子を作成。原子力関連の取材マニュアルも、今回の経験をもとに、リニューアル。東京本社の壊滅的な被災を想定して、BCPの訓練も実施している。
  2. 3・11の経験を大きなバネとしてデジタル化を推進。「朝日新聞デジタル」を発展させ動画を多く掲載する一方、取材発信もデジタル化を推進。編集部門では2012年初めから部やグループ、地方総局単位、および記者個人でツイッターの利用を奨励している。「ソーシャルメディアエディター」という役職を作り、発信の際のガイドラインを作り、エディターのもとで研修を行っている。デジタル事業本部をつくり、デジタル編集部を移した。ハフィントン・ポストと合弁会社もつくった。
  3. デジタル化によって、ニュースにレイヤーをつくり、さまざまな読者に向けて編集、発信していくことが可能になっている。新聞は、多様な意見のプラットフォームになっていくと考えている。

インタビュー後記

朝日新聞社は震災後、「デジタル化」を社是として舵を切った印象を受けた。それは、吉田氏が指摘するとおり、新聞という紙の商品からデジタル版への変更というだけでなく、取材、編集というプロセス・・・・にもデジタル化を導入し組織も再編している。

このインタビューをしたのは、2014年秋に起きた朝日新聞の一連の「不祥事」(原発「吉田調書」記事取り消し事件、慰安婦報道問題)以前で、朝日はその結果、世論の批判を浴び、購読部数も大きく減らして窮地に立たされた。朝日では、従来の紙面中心主義、政治部や社会部が支配する古典的な「社会の木鐸」タイプのジャーナリズムの価値観から脱皮しようとする努力と、デジタル・テクノロジー全面的導入の展開とが重なっている。一連の「事件」も、社内のこの二つの動きが生みだす摩擦や矛盾とも関係しているように見て取れる。

今後、朝日はさらにデジタル化を進めて「新聞社」から「総合情報産業」を目指し邁進していくのだろうか。吉田氏が目指す「レイヤー的」ジャーナリズムは、この動きを指すのだろうが、このレイヤーは共存するのか。とくに災害緊急時に、それぞれに果たす役割や領分の棲み分けはどうなるだろうか。

(林 香里)