インタビュイー
成田 淳(なりた あつし)
肩書
震災当時: 毎日新聞東京本社代表室長、4月1日付で同編 集局長に就任
(調査当時: 毎日新聞常務執行役員媒体政策 担当コンテンツ事業部長)
経歴
1980年毎日新聞社入社。新潟支局を経て85年東京本社整理本部、87年には大阪本社の整理部、90年に東京本社整理本部に戻る。92年浦和支局、94年編集制作総センター。96年にはサンデー毎日編集次長、同年編集制作総センター副部長、2004年編成総センター編集部長。07年に大阪本社編集制作センター室長となり、翌08年東京本社編成総センター室長。09年に代表室長、11年に編集編成局長、13年に常務執行役員媒体政策担当、コンテンツ事業本部長となる。15年にスポーツニッポン新聞社取締役。
インタビュー実施日時
2014年6月20日(金曜日) 午前10時〜12時
東京都千代田区一ツ橋、毎日新聞本社(パレスサイドビル)9階アラスカにて
聞き手
林香里、五十嵐浩司

インタビューの要点

  1. 3月12日の福島第一原発一号炉の水素爆発では、編集局長が「一時退避」の指示をだした。しかし、担当販売員やグループ企業の印刷工場には退避指示は出なかった。取引先である専売店にはどう対処したら良いのか。メディア企業としては、こうした課題への対応が迫られる。ただ、桜井南相馬市長の日本の企業メディアを批判するコメントに対しては「毎日新聞もいたし、地元紙もいた」と反論する。
  2. 原発、原子力を専門とする記者の採用はとくに考えない。大阪本社を中心に「原発に詳しい記者」は相当数いたが、基本は「専門家をきちんと把握して、その専門家の言葉をきちんと取材できる能力」。「森羅万象すべてに専門記者を雇う」ことは不可能で、専門性よりはジャーナリストとしての資質が大切と考える。発表を丸呑みせず、しっかりと解析・分析できる力も「専門性の問題ではない」。
  3. 原発は必要なのか否か、毎日新聞の紙面では社説や記者の解説、コラムなどでさまざまな論が展開された。それは、社風は「自由です!」と言いきる毎日新聞の文化に根差すという。編集局が論説(社説)に縛られないのは当然だが、「社論というものがない」のだという。経営と編集の分離、編集と論説の分離、これを徹底して「社説と反対意見でも、事実に基づいた論理的な記事であれば紙面では紹介」するし、コラムは基本的に「それぞれ個人の考えで当然」という縛らない文化だ。

インタビュー後記

毎日新聞の魅力の一つは、早くから署名を多くいれ、書き手の息遣いが聞こえるような紙面づくりをしてきたことだろう。原発再稼働問題に絡めて、こうした紙面作りの考え方を尋ねたが、「社論というものがない」と言い切る姿に毎日新聞の自由な社風への自負を見た思いがある。

不安を煽らない報道について尋ねた時の「情報は100パーセント出しています」という答え、記者の専門性について論議している際の「僕らは何かできなかったことが明確にあるんだろうか」「読者の期待に根本的に応えられなかった、という問題はなかっただろうと思っています」という歯切れのよい発言にも、別の意味での自負が色濃く覗く。それが櫻井南相馬市長(当時)の発言やマーティン・ファクラー元NYタイムズ東京支局長の指摘への強い反発につながっているのだろう。

確かに3・11直後に若い学生らの間に多くみられた「日本の組織メディアは真実を伝えていない」「情報を隠している」といった漠然とした不信感には、メディアの報道をきちんと見ることなしにSNSなどの「ディスる」情報などが刷り込まれてしまった部分はある。とはいえ、さまざまに反省しより良くしていく部分は少なからずある、というのがこの「災害と報道」の研究を始めた出発点になっているのもまた事実だ。成田氏のこうした発言は毎日新聞の多くの人に共有されているのか、それとも編集部門を統べるリーダーとしてのものなのか、より多くの「自由な毎日人」に尋ねてみたいところだ。

南三陸防災庁舎の写真を早くに手に入れていながら掲載しなかった判断、そしてインタビュー時点で「いまだに取材対象」であり条件が整えば掲載すると考える姿勢には感心した。こうした一つひとつの事態にそれぞれどう対処するか、「そういうものはマニュアル化できない」という考え方は、まさに自由で柔軟な毎日ジャーナリズムなのだろう。

(五十嵐浩司)