インタビュイー
長谷川 剛(はせがわ つよし)
肩書
震災当時: 読売新聞東京本社地方部次長兼同部総務課長
(調査当時: 同東京本社編集局次長)
経歴
1963年広島市生まれ。86年4月読売新聞社入社。2005年5月読売新聞東京本社地方部次長。08年9月から同部で総務課長を兼務し、東日本大震災の発生時は、応援記者の手配や備品調達などを行う後方支援の責任者を務めた。11年6月から東京本社航空部長。その後は読売新聞グループ本社広報部長、東京本社地方部長、同編集局次長などを経て、18年2月現在、読売旅行取締役CSR推進室長。
陪席
梅村雅裕 読売新聞グループ本社社長室広報部主任(調査当時)
インタビュー実施日時
2015年10月2日(金曜日) 午後4時〜6時
東京都千代田区大手町、読売新聞東京本社会議室にて
聞き手
林香里、五十嵐浩司、奥村信幸

インタビューの要点

  1. 『3・11東日本大震災—読売新聞社の記録』を一年後に発行。「原発取材マニュアル」は、震災時の現実に合わせ、低線量の被曝も考慮して政府の基準に合わせる形で見直した。社員向け『取材報道指針』という冊子は、東日本を受けて、「大規模災害」という項を新たに作った。このほか、契約製紙会社に対してどこの工場からどれぐらいの用紙を確保できるかを確認するマニュアルを作成。以上は非公開、社外秘。一般向けには中央公論新社から、『記者は何を見たのか』を出版。
  2. 年1回、休刊日を使って、本社機能が喪失した際を想定して大規模なバックアップ訓練を実施。2012年3月、河北新報との間で、緊急時の新聞発行相互援助協定を締結。震災後、災害報道に携わる記者らのために特別有給休暇を4日間つくった。本社の産業医と看護師に2人1組で医療カウンセリングチームを作り、4月上旬から福島、盛岡支局、および東北総局を巡回。記者や応援は3月11日から3月末までで総勢406人入った。4月は379人。防災担当の編集委員のほか、復興担当の編集委員、石巻には被災地担当の編集委員がそれぞれ1人ずついる。
  3. ホームページの「YOMIURI ONLINE」では、自然災害が発生したときには、速報を短時間のうちに次々と流している。

インタビュー後記

読売は、震災直後からメモを残すように社長自らが指示を出して記録をまとめていた。また、発災当初は400人余りの応援とともに被災地の取材態勢を整えており、読売新聞の動員力は抜きんでていたように思う。また、取材記者のメンタルな面をサポートするために特別有給休暇をつくるといった配慮にも言及があった。さらに、南海トラフや首都圏直下型地震を想定し、年1回休刊日を使って大規模な訓練を行って準備も怠らないなど、インタビューでは来るべき災害に備えた取材報道体制の準備について、詳細な回答があった。

ただ、今回の大震災によって、読売新聞のジャーナリズム、およびジャーナリズム全体について及ぶ影響などの言及はなかった。また、東日本大震災は、ネット時代に突入した初の大規模災害だったが、ネット戦略について言及も少なかった。

他方で、原発事故発生の際、「基本的に記者会見を基に記事化をするだけで精一杯」で、「データに基づいた記事は発信しなければいけないけれども、その評価をどうするのかというところが非常に難しくて」という経験を率直に語ってもらった。こうした経験は、今後の(読売)ジャーナリズムのあり方の教訓となるのか。とりわけネットが広がる情報化社会では、ますます速報が要求されると同時に、記者と読者の関係がより近く、パーソナルなものにイメージされる時代になっている。ネット時代を見据えた読売新聞の立場について、より深く聞いてみたかった。

(林 香里)