インタビュイー
冷水 仁彦(しみず よしひこ)
肩書
震災当時: 日本放送協会報道局長
(調査当時: 日本国際放送代表取締役社長)
経歴
1976年にNHK入局し、松江放送局を経て社会部記者。その後、93年大阪放送局ニュースデスクになり、95年の阪神淡路大震災報道の現地取材を指揮する。2004年、「ニュース10」編集長、08年に報道局長になり、11年に理事。13年に日本国際報道(JIB)の代表取締役社長に就任した。
インタビュー実施日時
2014年10月10日(金曜日) 午後1時半〜4時
東京都渋谷区神南、日本国際放送7階会議室にて
聞き手
林香里、五十嵐浩司、奥村信幸、田中淳

インタビューの要点

  1. 緊急災害報道はNHKの最大の使命。報道にかかわる職員には「体内に別の回路が組み込まれているような感じ」で、大災害が起きたときにはその回路が自動的に動き出す、という。NHKの8波を即時に災害報道に切り替える、1000人を超える報道局員と全国にあるネットワークの報道部門が報道局の一元的な指揮のもとに入る、沿岸部に設置したロボットカメラは約500台--その総力を積み上げて「いざという時のNHK」という公共放送への期待に応える、という。
  2. その中枢を担うのが「テレビニュース部」。かつて「整理部」と呼ばれたセクションが進化したもので、東京に置かれ人員は百数十人。「どんな映像が入っているのか、中継はどこをつなぐのか、インタビューがあるのか、外部の出演者はどういう人を呼んでくるのか」を即時に判断していく。緊急報道のノウハウを積み重ねるエキスパート集団といえ、世界の放送局でも例のない職能集団ではないかという。この存在が「世界から称賛された」3・11のライブ映像を多用したリアルタイムの冷静な報道に結実したと評価する。
  3. 専門記者の重要性を3・11の原発事故は改めて認識させた。「十数年前に社会部から独立する形で」立ち上げた科学文化部が原発、医療、航空などの専門記者を育んできたし、原発を抱える局はすべて原子力担当を置き定期的に全国の担当者会議を開く。原発事故は現場取材ができないだけに、どうしても政府などの情報に頼りがちだが、そこにこうした専門記者の解説をつけることで客観性が担保できた。しかし、採用時にとくに専門記者を育てようと専門性にこだわるのではなく、入社後に育てる、専門性を身につけるということではないか。

インタビュー後記

NHKが災害報道(正確に言えば「防災・減災報道」だが)で、法律により報道機関として唯一指定公共機関に定められていることは改めて指摘するまでもないだろう。NHKのHPが掲げるように、「災害報道はその最大の使命の一つ」である。もともとNHKと民放には、その人員、予算で圧倒的な差がある。むろんNHKが他の放送局を圧する規模だ。報道にかかわる人員の熟練度や厚み、装備、とりわけ地方を担当する放送局のこうした要因では、差はもっと広がるはずだ。災害報道の中枢を担うNHKという存在を改めて痛感させるインタビューだった。

とくに初めて耳にしたのが「テレビニュース部」という存在だ。放送関係者にはよく知られた存在なのかもしれないが、こうした非常時に備えた職能集団が百数十人という規模で育っている。平常は他の仕事をこなしつつ、ひとたびことが起きれば指示を待つまでもなく動き出す。そこにNHK災害報道の底力を見た。

冷水氏の発言は、災害報道で特別な使命をおびる公共放送の責任者としての意識にあふれたものだった。ただ、そうした責任感のなかで、たとえば原発報道で「分からない点、情報はありませんという点、そういう点をもっと強調して伝えた方がよかったんじゃないかという反省」「わからないことをわからないと伝える勇気」や、「専門家については複数の知見を併記する」という反省点について言及している。これは極めて大切な指摘だろう。

NHKは3・11報道に関し、さまざまな報告書や指針を作成し、一部は公開されている。このインタビューはぜひ、こうした文書などと併せ読んでいただきたい。

(五十嵐浩司)