報道にかかわった個々人の思いではなく、マス・メディアの組織としての動きや記憶の継承を捉えたい――この研究はこうして始まった。この「組織メディア」という観点からふり返ってみると、世界に類のない巨大な新聞社だったり、よく組織された放送メディアだったりが、これも世界に類がない生真面目さで災害報道と取り組む文化を持つからできたこと、逆にその巨大さや生真面目さが「足かせ」となったこと、その相克が見えてくる。

圧倒的な物量と「持続する志」

400人、600人――発災直後に全国紙やNHKが被災地に送った人員である。NYタイムズ紙の全報道記者数を上回るほどの人々が送り込まれた。この手厚い態勢が、全世界への発信と同時に地元の人々にも必要な情報も提供しようという「全方位報道」を可能にした。しかも、半年、1年、3年と経過しても、規模は縮小しつつも、被災地を報じようという真摯な姿勢は薄れない。これは日本の「マス・メディア組織の巨大さ」のスケール・メリットが生かされた例といえるだろう。多くの組織メディアが、3・11の経験の記録と継承に尽力している。これもスケールの余裕がもたらす恩恵の一つだろう。

危険地へ、誰が取材に行くのか?

私はとりわけ「原発事故で放射線量が高くなったとき、撤退の指示を出したのか。どう取材したのか」に関心を持った。そもそも、日本以外のメディアでは「原発報道マニュアル」的なものはないようだ。「危険地取材の手引き」的なものがあっても内戦やテロがメインだ。各組織メディアが悩んだのが、取材し報道し、「権威」の提供する情報を見極める「メディアの使命」と、記者らの安全を守る「雇用者としての倫理」の相克である。一つ、注目したいのが、「撤退命令は出していない」、マニュアルに規定があっても出さない、と言い切ったのが産経新聞社であることだ。私は「編集局で300人、地方を入れても400人弱」という、産経新聞東京本社の規模がこうした判断を可能にした一因ではないかと考える。記者一人ひとりの「顔が見える」、逆に現場の人々がリーダーの考えを直接確認できる。他組織の悩みは「スケール・デメリット」なのではないか。

マニュアルの束縛から、私たちは離れられるのか?

組織のリーダーとして従業員の安全を確保する手立ては講じつつ、報道の使命は果たす。マニュアルに縛られ過ぎることなく、良い意味での記者の「自己責任」も認める。そうした理想を、どう実現できるのだろうか。共同通信は3・11後の原発取材マニュアルの改定で「杓子定規な」運用に歯止めをかけたそうだ。「あくまで目安」で、「自分の頭で判断する」「議論をし......決める」という考えだ。そこに私は相克を乗り切ろうという意志を感じる。同時に読売新聞が3・11後に作成した「取材報道指針」2013年改訂版で、「大規模災害」という項目を新たに作り、そこで「自分自身と家族の安全を最優先する」と記した判断。これもまた、素晴らしいと思う。

この両者が備わって初めて「組織メディアのジャーナリズム」が成立するのだろう。