インタビュイー
星野 誠(ほしの まこと)
肩書
震災当時: TBSテレビ取締役報道局長
(調査当時: 同常務取締役)
経歴
1980年東京放送入社。社会部記者から社会部デスクを経て、2000年にニューヨーク支局長、10年に報道局長、11年にTBSテレビ取締役報道局長となり東日本大震災を迎える。13年ネットワーク局・営業局・関西支社担当(報道局・情報制作局担当)取締役を経て、14年7月31日インタビュー時はTBSテレビ常務取締役(営業総括)。15年4月TBSテレビ常務を退任しBS-TBS社長、
同年6月に東京放送ホールディングス執行役員に就任。陪席福島隆史解説委員(調査当時)インタビュー後日補足:2017年3月2日、桶田敦テレビユー福島報道制作局専門局長(TBS解説委員)、同12月11日、福島隆史解説委員
インタビュー実施日時
2014年7月31日(木曜日) 午前10時〜12時
東京都港区赤坂、TBS本社会議室にて
聞き手
田中淳、五十嵐浩司、藤澤秀敏

インタビューの要点

  1. 系列も含めて被災地へは250人が入って取材した。2011年5月からはJNN三陸臨時支局を宮城県気仙沼市に設置し、最大20人規模を増員し、また原発取材には福島原発取材本部を作ってTBSから人を派遣した。また、ユーストリームに当日の5時42分から、ニュースバード(24時間のCSのニュースチャンネル)をそのまま配信したり、安否放送としてユーチューブに被災者のビデオメッセージを流すなどSNS連携を直後から進めた。
  2. 系列28社の部長会レベル・局長会レベル・デスクレベルで総括をした。そこから足りない点についてマニュアル改訂や訓練を実施した。ガソリンスタンドの設置や津波警報時のアナウンス読み上げ文改訂などが一例。また、外信部や番組担当を含めた横断的な組織として「災害報道プロジェクト」を立ち上げ、震災に関する情報共有を図っている。
  3. 震災前から実施していたTBS本社機能停止時に代替機能を強化し、MBS毎日放送、CBC中部日本放送、RKB毎日放送から全国の放送が可能な機能を最低限は確保できるような技術的な設備の拡充をした。

インタビュー後記

将来に備えて米国の研究所に原発の知識習得と人脈づくりのために記者を留学させたり、情報カメラをIP化したり、毎月1回(現時点では2回)訓練を実施したり、系列間の情報共有の場を設けるなど対策が具体的な話がうかがえたが、それ以上にインタビューの中で、「やっぱり準備が足りなかったなという、正直、率直な気持ちで言うと」あるいは「視聴者に対する情報提供の役割としては不充分だったなあというふうには思います」など率直な表現がある意味新鮮だった。その一方で、視聴者を不安にさせない報道をという「気持ちもありましたけど、それは漠然と不安にさせないということでありまして、非常に根拠なき感情的な抑制だったのかな」と思う、あるいは取材の安全確保に関して原発取材に「とにかく行きたがってました」という言葉の背景にある具体的な葛藤について、機会があれば聞いてみたいと思う。

また、ソーシャルメディアなどあらゆる手段が使える現在では、災害時に「コンテンツを作る能力があって、通常のいま使っている電波に乗せることが無理だったらほかの」媒体を使えばよいという考え方は、災害報道を超えて、テレビ報道のあり方を考えさせるものだった。

(田中淳)